王麗敏弁護士が綴る日中法律の架橋ブログ

日中間の法律の違いを分かりやすく説明した法律エッセーを中心に掲載しています。
上海日本語コミュニティ情報誌『MARCO』などで発表した記事や、日本や中国で出会った方々についてコメントを寄せています。

ご意見、ご要望がある方は、 wanglimin@allbrightlaw.com までご連絡下さい。

早稲田

競争から共生へ

ある日、賢者たちは「人間は利己的に行動する動物である。利己的過ぎると他者への侵害になってしまう。」ということに気づき、「法律(或いは村社会のルール)」というものを作り上げた。しかし、この目に見えない縛りは100%機能しているとは言えない。もし一日を無法日に設定したら、この一日、どんなことが起きるだろう。それを想像してみると、「法律」というものは空気のような存在だが、不可欠な存在と言える。
しかし、「法律」のない動物社会は何を持って規制されているのか。動物も基本的に利己的である。種によって「寄生」、「共生」も見られるが、「弱肉強食」は普遍的なルールである。ところが、同種の中では利他的な行動をする動物も存在する。蜂はその一例であろう。群れが敵に攻撃されると敵を刺すことによって敵を撃退する。刺した蜂は命を失うが、他の蜂はその蜂の利他的な行動によって生き延びることができる。結果的に種全体は命を継続できるのだが、個々の蜂にとって利己的な結果だとは言えないのではないだろうか?
蜂に学べとはナンセンスである。人間には「法律」の社会がある。人間の利他的な行動は他の動物のものと区別しなくてはいけない。しかしながら、個々が利己的に考え過度な競争に走れば、最終的に行き場を失う結果に成りかねない。如何に良性的な競争をしながら、共に生きる社会を目指すかは難しい課題である。個々の認識及び努力から始めるしかない。
(上海日本語コミュニティ情報誌『MARCO』2012年9月号掲載 / 筆者:王麗敏弁護士)

郷に入れば郷に従う

真夏に入った上海を後にし、梅雨真っ只中の東京に向かう。やがて空港のゲートを経て、秩序的な日本のオフィス街に自分の身を溶かしてゆく。東京との縁は、かれこれ20年になる。この間、変わらぬ東京、変貌していく上海、そしてそれぞれの地に住む中国人と日本人を見てきた。
多少なる由縁があって、上海でいくつかの日本の方が集まるサークルにお世話になっている。また同じ理由で、東京で中国人の集まりに顔を出している。異国に住むそれぞれの国の人は、他国の色に染まっていることを感じられる。
中国で生活する日本の方の中には、自分を前向きに考え、日本固有の「キマリ」とか「枠」から脱却した方が多い。ルールの欠けている場面では大陸的になり、戸惑いながらも慣れていっているようだ。各々生存していく方法を習得しており、「迫力」さえ感じられる。日本に住む中国人は、周到に用意されている日本のシキタリに、当然のように感心しながら従い、そして長くいればいるほど、ルールを意識しながら慎重に行動するようになる。
郷に入れば郷に従うより「従わざるを得ない」ようだ。生物学的にいうと、いやでも「保護色」に変えさせられるようで、洒落た表現をするなら「グローバル化」である。法的な理由から服従する場面があり、いわゆる「コンプライアンス」を意識する時もある。従うのは結構なことだが、それぞれ固有のよい持ち味を失うことなく、そして相手によい影響を与え続けることを願って止まない。
東京に到着した日曜日、東京都心のオフィス街は相変わらず整然として穏やかであった。騒然で慌ただしい上海から逃げて来た私にとって、一時の安らぎを得られる。
(上海日本語コミュニティ情報誌『MARCO』2012年7月号掲載 / 筆者:王麗敏弁護士)
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