中国の諺に「眼不见为净」(見ていなければ煩わされず、心の安らぎが得られる)というものがある。しかし、私にとってこの真夏に「見えて安心」といものがある。それは蚊取り線香である。蚊除けのため、おそらく人類はつい最近まで何かを燃やして煙を発生させ、蚊を寄せ付けないようにしてきたのであろう。しかし、いまは煙の出ない「電池的」なものになってしまった。
ところが、無煙式の最新機器は私の場合あまり効かないような気がする。昨年、伝統に戻ろうと閃き、煙の出るいかにも効きそうな蚊取り線香にした。その煙を見てその匂いを嗅ぐと、このような過酷な空気では蚊も無理であろうと思った。実際、そのとおりに蚊たちは寄ってこなくなった。気のせいか、煙なしより効きそうである。
法律の世界となると、見えそうで見えない基準、つまり、抽象的に規定されていて、具体的に運用することが難しい基準は少なくない。抽象的で中身が見えない、解釈によりその中身が変わる可能性がある基準となると、大変不安になる。
何々に関して新法または法改正された、具体的にどのように対応すればいいのか、相談を受ける。大抵はそれが抽象的で理解しにくい、実行しにくいものである。弁護士もその回答を知りたく、いろいろと調べまくる。多くの抽象的な規定は、具体的な事象に当てはめる過程の中、運用細則の制定、司法解釈等により具体的な基準が見えてくる。自己の業界、ビジネスに関連する法的なルールは、抽象的に見えても、そのルールと関連する具体的な事象を追跡することにより、明白になるであろう。
(上海日本語コミュニティ情報誌『MARCO』2013年7月号掲載 / 筆者:王麗敏弁護士)