真夏に入った上海を後にし、梅雨真っ只中の東京に向かう。やがて空港のゲートを経て、秩序的な日本のオフィス街に自分の身を溶かしてゆく。東京との縁は、かれこれ20年になる。この間、変わらぬ東京、変貌していく上海、そしてそれぞれの地に住む中国人と日本人を見てきた。
多少なる由縁があって、上海でいくつかの日本の方が集まるサークルにお世話になっている。また同じ理由で、東京で中国人の集まりに顔を出している。異国に住むそれぞれの国の人は、他国の色に染まっていることを感じられる。
中国で生活する日本の方の中には、自分を前向きに考え、日本固有の「キマリ」とか「枠」から脱却した方が多い。ルールの欠けている場面では大陸的になり、戸惑いながらも慣れていっているようだ。各々生存していく方法を習得しており、「迫力」さえ感じられる。日本に住む中国人は、周到に用意されている日本のシキタリに、当然のように感心しながら従い、そして長くいればいるほど、ルールを意識しながら慎重に行動するようになる。
郷に入れば郷に従うより「従わざるを得ない」ようだ。生物学的にいうと、いやでも「保護色」に変えさせられるようで、洒落た表現をするなら「グローバル化」である。法的な理由から服従する場面があり、いわゆる「コンプライアンス」を意識する時もある。従うのは結構なことだが、それぞれ固有のよい持ち味を失うことなく、そして相手によい影響を与え続けることを願って止まない。
東京に到着した日曜日、東京都心のオフィス街は相変わらず整然として穏やかであった。騒然で慌ただしい上海から逃げて来た私にとって、一時の安らぎを得られる。
(上海日本語コミュニティ情報誌『MARCO』2012年7月号掲載 / 筆者:王麗敏弁護士)
多少なる由縁があって、上海でいくつかの日本の方が集まるサークルにお世話になっている。また同じ理由で、東京で中国人の集まりに顔を出している。異国に住むそれぞれの国の人は、他国の色に染まっていることを感じられる。
中国で生活する日本の方の中には、自分を前向きに考え、日本固有の「キマリ」とか「枠」から脱却した方が多い。ルールの欠けている場面では大陸的になり、戸惑いながらも慣れていっているようだ。各々生存していく方法を習得しており、「迫力」さえ感じられる。日本に住む中国人は、周到に用意されている日本のシキタリに、当然のように感心しながら従い、そして長くいればいるほど、ルールを意識しながら慎重に行動するようになる。
郷に入れば郷に従うより「従わざるを得ない」ようだ。生物学的にいうと、いやでも「保護色」に変えさせられるようで、洒落た表現をするなら「グローバル化」である。法的な理由から服従する場面があり、いわゆる「コンプライアンス」を意識する時もある。従うのは結構なことだが、それぞれ固有のよい持ち味を失うことなく、そして相手によい影響を与え続けることを願って止まない。
東京に到着した日曜日、東京都心のオフィス街は相変わらず整然として穏やかであった。騒然で慌ただしい上海から逃げて来た私にとって、一時の安らぎを得られる。
(上海日本語コミュニティ情報誌『MARCO』2012年7月号掲載 / 筆者:王麗敏弁護士)